紀行

数十年ぶりに福井の東尋坊を訪問。敦賀で高速を下りて、越前海岸を海沿いに北上、この景色は山陰のジオパークを思い出させてくれるような自然の造形美に満ちています。東尋坊は朧げな記憶しか残っていませんが崖を見下ろしたときに足がすくんだことだけは覚えています。いつもの観光のように現地まで車で乗り付けることはせず、今回も手前で車を停めて、荒磯遊歩道を歩いて(20分ほど)向かいました。予想通り土産物商店街をくぐり抜けると東尋坊が目の前に開けます。観光ホームページ的な説明はここまでとして、余談ですが、東尋坊は坊という名からもお坊さんの名前が由来だとは想像してました。えらいお坊さんではなく、俗にいうやくざ坊主だったことを東尋坊の遊覧船のガイドから聞きました。福井の有名な平泉寺の坊さんで、仲間の坊さんたちにここで突き落とされ殺されたとのことです。もう一点、ここにはライオン岩という岩礁がすぐ近くにありますが、ライオンの姿は海側から見ないと見えません。陸からは単なる岩礁の一つとしか見えません。みなさん遊覧船に乗りましょう(1400円)。追加で、近くに越前松島という観光スポットがありますが、東北の松島を知っている人はいかない方がいいと思います。貧弱過ぎました。

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黒部峡からの帰り道、合掌作り集落をみたくなり、五箇山と白川郷へ。五箇山は10年以上前に家族で訪れたことがありますが、記憶はかすんでいます。ただ同じく真夏だった記憶があります。黒部から高速道路で五箇山ICへ。前回は高速道路が未完成だったので山道をくねくねでしたが、今はICから数分で五箇山集落です。ICから近い五箇山生活館の方から入ります。車を停めて徒歩でメインの菅沼集落へ向かいます。数分でつきますが、10数軒の家屋しかないこじんまりした所です。興ざめしたのは全軒土産物屋か食堂(前回訪問時はそこまでひどくはなかったような・・・)一周10分くらいで終了。江戸時代は火薬の原料の硝石を作っていたと聞いていますが、跡形もみつけられず。こんなものかなという感じですが、この山奥で生計を立てるとするとやむなしかな。後で判ったのですが、菅沼集落の方から入ると駐車料金かかるようです、生活館の方から入ると無料でした。

五箇山から白川郷まで車で4,50分、白川は初めてなので期待と不安が交錯します。白川郷まであと10分余りのところまできた所で大渋滞。あきらめようか悩みましたが、ここまで来たら行くしかない、いざとなれば下呂温泉ホテルに遅延連絡です。渋滞開始から小一時間かかってやっと到着。五箇山とは似ても似つかない大集落、世界中からの観光客であふれています。百軒を超す住居。白川郷は土産物屋、食堂だけでなく普通の民家もあり、民宿もあり博物館っぽい家屋も残されております。お寺も残っています。一軒だけ屋内見学できるところがあります。一階は居住用、二階より上は養蚕所になっていました。一周速足で歩いても一時間半近くかかるほど見どころがあります。こりゃあ世界遺産になるし、世界中から観光客が足を運ぶだろうと納得しました。今回は真夏でしたが、雪景色だったらもっと情緒が出るんでしょうね、いつか冬にトライです。これから下呂温泉に向かいますが、日暮れまでの到着は諦めました。でも来た甲斐はあったという感じです。

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島根県安来市にある足立美術館ってご存知ですか、ミシュランで日本NO1に認定されている美術館だそうです、恥ずかしながら最近まで知りませんでした。開館して50年も経っています。島根の豪商富豪である足立翁の尽力により設立された当美術館は、展示されている絵画や陶芸品もさることながら、やはりメインは枯山水による庭園でしょうね、京都の有名寺院の枯山水の庭園も多く拝見してきましたが、昭和においてこれほどの大規模の庭園はないでしょうね、一番感銘を受けたのは俗にいう「借景」です。ここの借景は次元が違います。目の前の庭園をベースに、遠方の山々を借景とするだけでなくその間にある森をも手前の借景として組み入れています。三段階?の借景なのです。そしてその小高い山の頂上には人工の滝を配しているのです。毎日五時に滝は止まるのです。令和最初の日に訪問したのですが、令和においてこんな庭を目にできるとは至高の喜びであるのと同時に、50年間もこの美術館を知らずに過ごしてきた我が身を恥じた一日でした。

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お盆前の休みを利用して富山黒部のトロッコ電車に乗ってきました。立山のクロヨンには二度ほど行きましたが、黒部は初めてです、このトロッコ電車は黒部の第一から第三ダム工事の部材や人夫さんの運搬のために作られたとのこと。ただ黒部の峡谷はあまりに険しいために線路幅は狭いものが採用されてます。ちなみにクロヨンまではトロッコ用線路が付設できないために長野県の大町から山を貫く大トンネルを作って資材を運ぶしか方法がないためご存知のような大工事になったのです。宇名月~欅平まで一時間10分余り、途中トイレはありません。ひたすら峡谷の縁を縫うように走っているので、大峡谷の自然を満喫できます。ミニアドバイスとしては、電車は席みたいなものはなく三人用のベンチすわりです、そしてほとんどが川を右に見ながら登るので、登りは右端の席、下りは左橋の席がお勧めです。今でも関西電力の社員はダムに滞在されていますが、冬の間電車は運休します。よって冬の間は徒歩で出勤??されてます。大雪になるので、線路の沿ってずっと通勤用の歩行トンネルが付設されてました.片道7-8時間かけての通勤だとか!!終点欅平からは登山道がありクロヨンまでたどり着けるようですが、登山の装備が必要とのことです。

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今年の春に、京都南禅寺を訪問。豆腐が大好物の私は南禅寺と言えば湯豆腐なんです。学生時代、通学路の途中だったので湯豆腐大食い大会に出よう出ようと思っているうちに時は過ぎ卒業を迎えたためにそのまま立ち消えになった淡い思い出があります。さて、寺の境内に入るのは初めてなのですが、いやあ広い!!建造物も大きい。敷地の広さはこれが寺かという感じでした。この南禅寺も戦国時代に荒れ果てた時代があったようです。そこを今のように復興させたのは、徳川家康の徳川幕府とのこと。その由縁で境内ではないですが、隣に東照宮が設営されているのを皆さんご存知ですか。ただし、日光の東照宮をおもい浮かべますが、こちらのものは鄙びて色褪せた半分朽ち果てたようなものなので過度な期待はご無用です。でも東照宮に違いはないのて、一回だけは足を踏み入れられたらいかがでしょうか

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恵那峡温泉に行く道すがら旧中山道の宿場である馬籠と妻籠宿に立ち寄りました。街並みは当時のものを再現していますが、ほとんどが土産物屋か食事のお店。建物以外はどこにでもある観光地の雰囲気で落胆、一応本陣(村の名士の自宅が役所を兼ねている)の見学をしました、屋内も当時を再現してあります。予想通り公邸なので畳は縞模様に敷かれ結界が切ってあります。ただある一角は縁がない(結界がきれない)畳が敷き詰めてありました、このような畳は初めて目にします。下女のためのエリアだと説明がありました。昔はその辺はきっちりしてますね、あと、最近の観光地は中国人であふれていますが、ここも御多分に漏れず・・です、がここでは白色人種も多数見かけました。さらに言えば、ここでは馬籠から妻籠まで約8KMの山道の旧街道が整備されていてハイキングすることもPRされています。当日私がみた限り白色人種はほとんどがハイキングしてますが、日本人や中国人は一人も見かけませんでした。健康志向の差なのか、旅行感の違いなのか、団体旅行なのか否かの違いなのでしょうか、日本人は自家用車だからなのか??次回は絶体ハイキングと思いながら恵那峡に向かいました。ホテルでも中国人の団体客がいっぱいでした。

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長野県飯田市にある天竜峡を訪問する途中で下栗の里に寄り道しました。さすがにフォッサマグナの近くです、いたるところに深い渓谷があり、そこに街が点在するという感じ。下栗の里は最近になって取り上げられるようになった(宿の女将さんに聞いたところ地元でも3年ほど前までは単に山奥の小村としての認識だったとのこと)。が、これがすごい傾斜で車が対向できないような細い道を車で駆け上がります。いろは坂のS字クランクは有名ですが、ここのは比べ物にならないすごい傾斜と小さなS字の連続であっという間に麓の街並みが点のようになりました。Uターンするところがあるのかドキドキしながらです。里に着いてまわりを眺めると山の斜面(45°以上はあるような)に家と畑がへばりついている。段々畑を連想されるでしょうが、ここのは段々そのものがない、坂にそのまま野菜が植えてあります。要するに平坦なところがない畑です。家屋のところだけがかろうじて平坦になっている。この景観がしばらく続きます。どんどん道幅が狭くくなっていくので途中の家屋の前で何とかUターンして下山を決心(登りきると山越えはできるようですが)。でもそのあと今度はあの坂道S字を下ります。スピードが出ますが、ほぼ180°のカーブの連続で、生まれて初めて自分が運転しながら車酔いして、麓に着いてからもしばらくむかつきが収まりませんでした。子供たちは麓の小学校まで通っているようですが、帰り道は登れるのか??昔は貧しさの故、こんな土地に家を建て野菜を植えて生活をされていたのでしょうが、住めば都なのでしょうか!!

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世界遺産ということで、以前からのあこがれ。島根県太田市から約一時間の山合にありました。御多分に漏れず駐車場渋滞。途中で車止めて徒歩で集落に入ります。近くに観光センターがありますが、そこは展示が中心で坑道はありません、間違えないように。集落から先は徒歩か自転車になります。レンタル自転車は40分待ちとのことで、いつものように徒歩45分の山道を選択、日頃鍛えた足腰の見せ場??です。山道は木陰が多く、日光直射はないですがそれでも汗が噴き出てきます。五月初頭でこれでは夏はお勧めしません。今振り返って考えると、自転車レンタルがベストでしょう(行きはしんどいですが帰りはらくちん、体力に自信の無い方は電動自転車もレンタル可能です、それも難しいなあと思う方は人力車のサービスも見かけました)洞窟にたどり着いて入場料500円支払って170mの坑道に入ります。偶然近くに団体のためのガイドさんがいらっしゃったので、団体の後ろで説明を聞きながら坑道内へ。ラッキー!! 人がすれ違えないほどの狭い坑道。説明によると石見銀山では俗にいうボタ山がないとのこと、掘った岩石はそのあと全部人力で埋め戻したとのことです。また、工夫たちは高報酬だったようですが、じん肺のため30歳になったときはよくぞ生きてこれたという祝いをしたぐらいに短命と聞きました。世界遺産に認定された理由がわかったような気がしました。他の観光化された鉱山(例えば次の日に訪問した兵庫県の生野銀山 失礼)では世界遺産認定は無理でしょうね。わざわざ足を延ばした甲斐がありました

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クジラが食べられる町 大地町に向かいます。何もない街ですが、唯一の施設?のクジラ博物館へ着いたのは夕方、後30分で閉館とのこと。どうしようかと考えていたら、受付のお姉さん?の計らいで入場料半額でいいとのことで、入館。外のプールで泳ぐイルカを真近で見ながら、展示室へ入ると漁船の説明からクジラの骨や臓物までのサンプルのオンパレード。楽しくはないですが、貴重なものを見た感じ、反捕鯨団体の外人が抗議によく来館すると聞きました。日も暮れたので急いで温泉ホテルへ。クジラ尽くしの懐石メニューです、刺身から吸い物、焼き物、竜田揚げまでです。でも、クジラはやはり哺乳類ですね。吸い物は生臭くて癖ありすぎ。竜田揚げは小学校の時の給食を思い出しました。食後の散歩に外出しましたが、全くの真っ暗、右は民家群で左は海岸の堤防でネオンのの類は皆無。ホテルの人に聞きましたが大地町は漁村そのものなのでネオンの類はもともとないとのこと、部屋でテレビを見るしかありませんでした。

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正月二日、三日にかけて高山訪問、ホテルにチェックインした後、高山番屋へ。国内で唯一残った代官屋敷です、由緒云々は他のHPに任せて、印象に残ったのは「畳の結界」普通の家の畳はモザイク状ですが、ここの畳は完全縞模様,すべてが同じ向きにしてあります。畳の縁の黒っぽい帯?は「結界」をあらわすことの説明を受ける。お代官様は部屋の奥にに鎮座ましまして、商人は部屋の入口にすわる。代官との間には三重,四重の結界が設定されます。「ちこう寄れ」との緩許しがあって初めて一つの結界を超える、二回目のちこう寄れの許しで、さらに一つの結界を超えるのです、四回ほどの許しがないと代官とはひそひそ話はできなかったのです。それほどに身分制度がタイトだったのでしょう。以来古い神社仏閣等訪問時畳を見てますか、全部縞模様です。畳の縁は踏むな という言葉は聞きなれていましたが、結界ならば、至極当然ですよね。この年になるまで知りませんでした。自分の薄学に汗です

飛騨の匠 という言葉がありますが、当然ここ高山のことです。この辺りは土地が痩せていたため、コメの年貢は当てにできない。そこで大名や朝廷はコメの年貢の代わりに匠の技を当てにした労役を年貢としたとのこと、色んな有名な建築物に飛騨の匠の足跡が残っているのも飛騨の土地がやせていたのが遠因とのことでした

高山の酒 ここ高山では酒蔵が多く、何件もの酒蔵が集中しています。それらの酒蔵では地酒を小さなグラスで試飲ができます。純米吟醸ならば一杯300円。私は五種類いただきました。