先日、長野の昼神温泉に逗留したついでに諏訪大社を訪問しました。一般的な情報はWEB上にあふれているのでいつものようにカット。新しいトピックスをひとつ、諏訪大社ぐらいの有名な神社には普通「菊の御紋」と「葵の御紋」が飾られてありますが菊の御紋が見当たりません。何かあるなと第六感が働き大社中を探ってみたところありました。諏訪大社は実は明治になる前までは今の五倍ほどの規模の神社仏閣だったのです。そして明治になったころ新政府の方針により神仏分離の原則のもと仏閣の部分が全て取り払われたとのこと、よって当時の五分の一程度に縮小を余儀なくされたとのことです。よって新政府の天皇家に対する恨み??は大きかったと思われます。菊の御紋が飾ってないのは至極当然と言えば当然です。添付写真は例の御柱の一つですが、引きずって大社まで運ぶのでその部分だけすり減って平
らになっていることを発見したので写真載せました。
諏訪大社訪問
十二番札所 岩間寺
コロナによる緊急事態が解除されたのを機に、大津の岩間寺を参拝してきました。実は二回目のトライなのです。前回はJR石山駅から5.6KMなので体のために徒歩で挑戦!! でも途中で道に迷ったのと想像以上に遠そうなので断念してます。今回は駅前で自転車レンタルして挑戦、でもロードバイクはなく、ママチャリ。いやな予感はしましたが、出発。1KMもいかないうちに急な上り坂に遭遇。自転車漕げず押して上がることになります。そこから一時間半ひたすら坂を上ります(自転車押しながら)持ってきたタオルが汗で重たくなるくらいに苦行の連続。やっと山頂の境内に到着して参拝。御朱印をいただくときにご住職から自転車で来たことに驚かれ、労いの言葉をいただきました。なんでも自転車での参拝が一番きついとのことでした。帰りは下りなので二時間弱かかったものを15分で駅まで戻りました。いつもながら西国33か所はほとんどが山寺で、苦労をします。(寺までは通常はバスが運行されていますのでご安心を)
今年二度目の山代温泉
この前の三連休を利用して山代温泉を今年二度目の訪問。正月にも訪れていますが、特別山代温泉が気に入ったわけではなくたまたま二度目だっただけです。世間ではコロナで騒がしいですが、北陸は感染者がほとんどいないからでしょうか、200室以上ある大規模旅館ですが、満室でした。ただ、いたるところに消毒液が設置され、宴会らしきものは見聞きせず、私もそうですが皆さん静かに温泉と料理を楽しんでいるようでした。ロビーや廊下では浴場に向かう人以外は見受けられない。正月に来たばかりなので観光はせず、温泉街で地酒探しにいそしんだ次第です。そこである情報を入手。知る人ぞ知る杜氏、農口尚彦氏が元の酒蔵とたもとを分ち、新しい酒蔵を立ち上げ新しいブランドを立ち上げたとのこと。今でも元の農口という酒は販売されているようですが・・。早速その新ブランドを購入しました。下記の写真。まだ飲んではいませんが、楽しみです。石川県でしか入手できないことと純吟タイプはなく純米と純米大吟醸しかないとのことで・・純米でも値段は純米大吟醸クラスである事は新ブランドでも変わらず。一升瓶だと純大タイプで一万数千円で手が届きません。

一年振りの飛騨高山
今年の正月、一年振りに飛騨高山を訪れました。去年とは別世界で市内に全く雪がありません。ここ30年間こんなに雪がふらないことはなかったとのことで、今夏の水不足が心配されるとのことです。今回も高山陣屋を訪問、去年一部しか説明が聞けなかった説明員さんの説明を聴くためです。朝一に申し出たところ、まだ誰も申し込んでないとのことで、なんと専属で説明を受けることに!!。しかも無料です、ラッキー。一時間みっちり説明を聴きましたが、今回一番印象に残ったのは日本の封建制度の徹底さでした。ご存知のように当時、士農工商 穢多非人そして別格の僧侶という身分制度がありますが、実際はもっと細かく規定されています。陣屋のつくりを見ても、入り口だけで10数か所あります。これは入口が多いのではなく、身分によって専用の入口があることなのです。代官用の他、上級武士、下級武士、庶民、妻子そして使用人そして僧侶、全て出入口が別です。使う部屋も違えば使う畳も大きく三種類+板間+土間に分けてあります。罪人の取り調べも庶民は土間、武士は板間、僧侶は別室といた感じ。体制を維持するため徳川幕府は徹底的に身分の上下に拘ったのですね。また武士は切り捨てご免という特権もありましたが、刀はいつも封をしっかりしてあり、封をほどくだけでも一苦労だった。それはもし切り捨てたとしても、その後仇討が認められていたため「切り捨てご免」とはいかずその後一生逃亡人生が待っているので、簡単に刀を抜けないようになっていたと聞きました。説明員さん、ありがとうございました
31番札所 長命寺
少し前になりますが今年の八月に、琵琶湖の畔にある長命寺(西国33か所の31番目)を参拝しました。真夏でしたがロードバイクにまたがり約一時間半で長命寺のある山の麓に到着。この時点でもう汗だくの状態です。すぐ横に細いですが車道があり、808段の参道の階段の上から150段目当りまで行けますが、自転車で登るのは無理と判断。徒歩で階段を登っていきます。頂上までは参道の両サイドを背の高い笹竹が囲っており全く風が通りません。蒸し風呂の中を一時間ほどで登りました。ペットボトル一本を頼りに登りますが今まで経験したことないほどの汗をかきました。熱中症に注意です。頂上の寺に着くころには視界が開け360゜パノラマで爽快そのものでした。参拝して少休止して、坂を下りますが、今度は15分ほどで到着。水を買って飲み干し、それからロードバイクで一時間半。たっぷりトレーニングできました?? 皆さんは車で頂上までのコースをお勧めします。ちなみにほとんどの参拝者は車です、下から徒歩の人は私以外に一人だけでした。その方もトレーニングしている雰囲気でした。
新穂高ロープウェイと飛騨鍾乳洞で象牙の城を見る
先日、奥飛騨を訪れて来ました。ご存知のように新穂高は高低差日本一のロープウェイ。11月末なので2000Mを超す展望台駅に着いたら氷点下。でも雪を半分被った槍ヶ岳等の北アルプスの峰々は圧巻でした。観光案内の通り、素晴らしい自然を満喫できましたが、ここまでは観光パンフどおり。今回お伝えしたいのは、新穂高に行く途中で立ち寄った大鍾乳洞(もちろんここもうわさ通りの名所ですが)ではなく、隣接している「大橋コレクション館」です。大橋氏は鍾乳洞を発見した地元の大富豪です。20年ほど前この施設に展示したあった二億円の金塊が強奪されたことで有名な施設です。金塊は戻ってきています、が金塊よりもびっくりしたのはそこで見た等身大の象牙で作られたお城です。ワシントン条約により1999年の最後の一回の輸入を最後に取引は禁止されたままです。その象牙を惜しげもなく使った等身大の城模型。値段はつけられないかもしれません。それが複数展示。加えてメノウで花を表しヒスイで葉を形作った盆栽??の数々、陶磁器も大皿、大花瓶(等身大)最後に、「青磁」の大皿と白磁の置物です。色んな個人コレクション博物館を見ましたが、こんなに金が掛かっていそうな展示館は初めてです。ぜひとも鍾乳洞共々訪問されることをお勧めします。
湖東三山(西明寺、金剛輪寺、百済寺)をロードバイクで一巡り
滋賀県の東部(湖東)の山を沿うようにお寺が三つ点在しています。先日の土曜日、好天に誘われてロードバイクで出かけました。距離はそれほど離れてはいませんが(約20km余り)三山の名前からもわかるようにずっと山岳コースが続くので、いいトレーニングになります。まずは西明寺に着きます。紅葉のシーズンなのでバスや自家用車で大渋滞、でもそこは自転車なのですいすいと前進して入口に到着。拝観料600円払って入ると上は紅葉、下はコケに覆われた庭園が続きます。坂道の石段を少し上ると本堂。中に入って語り部の話を聞く。湖東三山の寺は全て天台宗の寺で本山は比叡山延暦寺とのこと、この寺の三重の塔の内部の天井、側壁には今でも鎌倉時代の原色そのままの絵画が残っているとのこと。(後で見ましたが少し色褪せてはいますが、手付かずの絵画は残っていました)本堂の中に菊のご紋と三つ葉葵のご紋を発見。天皇家とのつながりはわかりませんが、徳川家の方は織田信長の弾圧の後(あの延暦寺の門下ですからに家康が何らかの保護をしたのだろうと推察できます。
次に金剛輪寺、ここも駐車場待ちの長い列を横目に入口直行。中に入ると整備された庭がありその後は長ーい坂の参道が続きます。両サイドには千体をこえるであろう地蔵仏が並んでます。伏見稲荷のずっと続く朱塗りの門のように寄進された地蔵仏が続き、壮観な景色ですが300mを超す坂道は体に応えます。観光バスは本堂の手前まで入れるようなのでバス観光ならば問題ありません。本堂を拝観しましたが、棚の上に小さな東照宮を発見。やはり家康の保護があったようです。
そして最後は百済寺。三山のなかでは一番高い山の上にあります。ここも大渋滞の車を横目に坂道をひたすら上ること30分弱。後で聞きましたが中高年で自転車で上まで登る人はめったにいないようです。この寺はそれほど広くなく短時間で回れました。ここはもともと聖徳太子時代に建立されたものですが、後で天台宗に改宗したとのこと。それが原因かどうかはわかりませんが、明確に信長に焼き討ちにあった歴史があるようです。でもここでは徳川家の影は見られませんでした。



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満蒙開拓団の真実!!
少し前になりますが(去年の暮)、舞鶴を訪問、舞鶴は海上自衛隊の街と言っても過言ではない街です。そして「岸壁の母」で有名な終戦後の大陸からの引揚に最後まで対応した港です。赤レンガ倉庫と自衛隊の艦船と引揚記念館が名所となっています。ここでの新発見は引揚記念館で語り部のおばあさんから拝聴した話の中身です。というのは、戦前から日本は満蒙開拓団と名付けた国主催の満州国開拓団を組織して満州を開拓する移民施策をとっていました。これは南米の開拓団と同じ趣旨だと思っていました。ところが満州の方の開拓団とは名ばかりで、もともと農業を営んでいた満州人の農民たちを軍隊の武力で押さえつけ小作人化して、その上に日本からの開拓民を地主として位置づけ、いわば搾取することが目的だったとのこと。よって満州撤退して帰国する時に、満州人は過去の恨みにより、弱い女性・子供連れから身ぐるみ剥ぎ取り金品を奪って仕返しをしたとのこと。(強姦はロシア兵だけとのこと)。その語り部のおばあさんは幼子でしたが、帰国の群衆の中に寒い冬なのに裸の母子を何人も見かけた、とおっしゃってました。開拓団の方々に罪は全くありませんが、国民というのは国に翻弄されるということを改めて実感した旅でした。
南禅寺と永平寺(臨済宗と曹洞宗)
去る二月に南禅寺、九月に永平寺という禅宗の大本山を訪問してきました。それぞれが臨済宗と曹洞宗の大本山です(注 唯一の大本山ではなく宗派によって大本山は他にもあります)
あまり宗教には詳しくはありませんが、同じ禅宗なので寺の作りはよく似てました。徳川家康の援助を受けたことと都にあるからかわかりませんが建物の規模は南禅寺の方が大きいです、南大門みたいな大きな建造物は永平寺にはありません。寺の説明を聞きましたが、永平寺の方はやたら修行僧が逃げ出したというエピソードが含まれています。曹洞宗は臨済宗よりも直接的に真理を求めるが故に厳しいのか、福井という冬の寒さが想像以上に過酷なのかも知れません。曹洞宗は壁に向かって座禅を組み何も考えず無になる。臨済宗は僧が向き合って座禅を組みながら心理を追求する。素人的には孤独に耐えられない??というような想像もしてしまいました。余談ですが、永平寺はイタリアに分院(寺)があるそうです。


出雲大社 令和初日の日付の御朱印をオークション?
私の中で、神社の双璧は 伊勢神宮 と 出雲大社なのです。お伊勢さんは言わずと知れた天皇家の祖先を祀ってあり全国の神社の中心とされてます。方や出雲大社は神無月には全国の神様が集う社、島根県だけは神有月ということは皆さんご存知ですよね、出雲大社だけは、二礼二拍手一礼のところ四礼四拍手二礼となる神社、たまたま半年前に出雲市の温泉を予約してあり、参拝したのが五月一日。そうです。令和元年初日だったのです。すごい混雑で渋滞のため手前で車を乗り捨てて歩くこと一時間半。参拝の後、御朱印いただくために一時間近くの行列に並んで入手したのがこの御朱印。デザイン的には伊勢神宮のものとよく似ていて、シンプルイズベストなデザインです。東京の明治神宮の御朱印は直ぐにオークションに出されて高値で売却とのニュースが流れてましたが、これもオークションしたら高値???、そんな罰当たりなことはいたしません!!!

玄武洞
兵庫県の城崎温泉の近くにある玄武洞に立ち寄ってきました。地表近くでマグマが冷えたため六角柱の岩石が階層的に堆積したものですが、場所によって冷えるスピードが違ったため六角柱が自然にカーブしておりきれいな文様をなしています。鉄(Fe)が含まれているため玄武洞近辺だけは地磁気が反対になっているとのこと。さらにこの玄武洞を研究した京大の教授により地球は過去何度か南北の地磁気が反転したことも判明したとのことです。面白かったのは岩石の「玄武岩」の名称はこの玄武洞からきていることも知りました。何はともあれこの壮大な岩模様は一見の価値があります。城崎温泉の石畳もここの玄武岩が利用されました.近くに行かれた時は立ち寄りお勧めです、
