紀行

クジラが食べられる町 大地町に向かいます。何もない街ですが、唯一の施設?のクジラ博物館へ着いたのは夕方、後30分で閉館とのこと。どうしようかと考えていたら、受付のお姉さん?の計らいで入場料半額でいいとのことで、入館。外のプールで泳ぐイルカを真近で見ながら、展示室へ入ると漁船の説明からクジラの骨や臓物までのサンプルのオンパレード。楽しくはないですが、貴重なものを見た感じ、反捕鯨団体の外人が抗議によく来館すると聞きました。日も暮れたので急いで温泉ホテルへ。クジラ尽くしの懐石メニューです、刺身から吸い物、焼き物、竜田揚げまでです。でも、クジラはやはり哺乳類ですね。吸い物は生臭くて癖ありすぎ。竜田揚げは小学校の時の給食を思い出しました。食後の散歩に外出しましたが、全くの真っ暗、右は民家群で左は海岸の堤防でネオンのの類は皆無。ホテルの人に聞きましたが大地町は漁村そのものなのでネオンの類はもともとないとのこと、部屋でテレビを見るしかありませんでした。

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正月二日、三日にかけて高山訪問、ホテルにチェックインした後、高山番屋へ。国内で唯一残った代官屋敷です、由緒云々は他のHPに任せて、印象に残ったのは「畳の結界」普通の家の畳はモザイク状ですが、ここの畳は完全縞模様,すべてが同じ向きにしてあります。畳の縁の黒っぽい帯?は「結界」をあらわすことの説明を受ける。お代官様は部屋の奥にに鎮座ましまして、商人は部屋の入口にすわる。代官との間には三重,四重の結界が設定されます。「ちこう寄れ」との緩許しがあって初めて一つの結界を超える、二回目のちこう寄れの許しで、さらに一つの結界を超えるのです、四回ほどの許しがないと代官とはひそひそ話はできなかったのです。それほどに身分制度がタイトだったのでしょう。以来古い神社仏閣等訪問時畳を見てますか、全部縞模様です。畳の縁は踏むな という言葉は聞きなれていましたが、結界ならば、至極当然ですよね。この年になるまで知りませんでした。自分の薄学に汗です

飛騨の匠 という言葉がありますが、当然ここ高山のことです。この辺りは土地が痩せていたため、コメの年貢は当てにできない。そこで大名や朝廷はコメの年貢の代わりに匠の技を当てにした労役を年貢としたとのこと、色んな有名な建築物に飛騨の匠の足跡が残っているのも飛騨の土地がやせていたのが遠因とのことでした

高山の酒 ここ高山では酒蔵が多く、何件もの酒蔵が集中しています。それらの酒蔵では地酒を小さなグラスで試飲ができます。純米吟醸ならば一杯300円。私は五種類いただきました。

                                                                   

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年明けに片山津温泉に出かけました 滋賀から鈍行列車です ここは山中 山城 片山津のトライアングル観光地と知りました。観光用路線バスは一方通行なため逆方向に戻ることができない 戻ろうとするともう一周なのです、事前計画必須です。那谷寺等を見学しましたが、北前船史料館が私的にはGood!、どのようにして豪商たちは儲けたのか、

北前船は、北海道と上方の間の通商により栄えた商社の集まりとの認識でしたが、正確には上方から北海道の間にある諸々の大きな町々を立ち寄り、そこで船荷を売りさばき、その寄港地で地場の商品を大量に仕入れる。これを繰り返すことによって利益を上げ続けたということのようです。現在の価値として舟一隻当たり一年で純利益一億円だったとのこと、数隻持っていれば年数億です。でも船の乗組員は薄給(他の職種よりは高給)だったとのこと。台風やしけでよく遭難があったようですが、船乗りは人気だったし、多少のボーナスももらえたようです。乗組員は30歳になったら、よくぞ死なずに30になったと家族がお祝いをしたようです。それほど遭難が多発していたのでしょうね。国鉄の普及によりすたれましたが、その後船主たちは蓄えた資本を基に会社を興したようです。損害保険会社や商社、大阪ガスの創設者もここの出身のようです、